category: DVD
DATE : 2006/09/04 (Mon)
DATE : 2006/09/04 (Mon)
85年から1年間オンエアされた『機動戦士ガンダム』の続編を、テレビとは異なる結末を見せることを前提に再構築した映画版3部作の完結篇。エウーゴとティターンズの地球をめぐる内戦に旧ジオン軍アクシズが新たに加わり、三つ巴の戦いが繰り広げられていく中、主人公の少年カミーユは過酷な戦闘で心傷つきながらも確実に成長していく。TV版では悲劇に終わった彼の顛末も、映画版では一見予想されうるハッピーエンドを迎える。しかし、その奥には共同体の中に生きる男女の営みを祝福する富野由悠季監督の未来への希望が見事に込められている。こうしたメッセージは20年前の富野作品には見られないものであった。そこをどう捉えるかで映画版3部作の評価もおのずと変わっていくことだろう。TVの旧画と映画用の新画が交錯していく構成はギクシャクしてはいるが、そこから20年前と今との対比から未来を見据えようとする意思が巧みに醸し出されている。(増當竜也)
劇場版『Z』3部作の中では最も「新訳」として成立していますね 2006-09-02
劇場版『Z』3部作の完結編。
敢えて20年前のフィルムを引っ張り出し"エイジング"とか銘打ったごまかしで無理矢理再利用している点や、声優の不可解な変更、アーティスト名だけでファンの注目を惹こうとするが如き、まるで作風に合っていないテーマソング等、3部作全体を通じて、作品の内容以前に多くの問題を抱えていたと感じられる劇場版『Z』ですが、この第3部は「作品」として最もまとまりや魅せ場があり、単体としては一番まともな作品になっていると思います。
エンディングがTV版と異なっている事がウリでもあり非難の対象ともなっていますが、むしろキリマンジャロやダカール、サイド2での展開を全て割愛して、エウーゴ・ティターンズ・アクシズ3局の絡み合いに焦点を絞り、そこで繰り広げられる権謀術数や個々人の思惑を描きつつ、グリプス戦役全体の流れを約100分と言う枠の中でしっかり描写している点を高く評価したいです。
TV版では放送回毎に見所を入れねばならないと言う制作上の都合から要素が詰まり過ぎてしまい、焦点がぼやけ消化不良を起こしていたと感じていただけに、あえて「新訳」として劇場公開をした意味は感じ取ることが出来ました。
無論、その為にアムロをはじめ、フォウ、ロザミアといったキャラの魅せ場が完全に消失してしまった事は、思い入れの強いファンにとっては許しがたい変更だと理解出来ますが、第2部の様にエピソードの無残な寄せ集めを見せられるよりはよほどマシだったと思いますよ。
ラストシーンが『ZZ』に繋がらないと言う批判は尤もですが、元々ガンダムってそれほど綿密に構築されている作品でもありません(ファーストもTV版と劇場版で数々の矛盾があるし、何より小説版ではアムロは戦死しています。『逆襲のシャア』は最初『Z』のサブタイトルでした)。あの"駅弁"は富野監督らしい下品さが良く表れているシーンだと評価出来ると思いますよ。
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劇場版『Z』3部作の中では最も「新訳」として成立していますね 2006-09-02
劇場版『Z』3部作の完結編。
敢えて20年前のフィルムを引っ張り出し"エイジング"とか銘打ったごまかしで無理矢理再利用している点や、声優の不可解な変更、アーティスト名だけでファンの注目を惹こうとするが如き、まるで作風に合っていないテーマソング等、3部作全体を通じて、作品の内容以前に多くの問題を抱えていたと感じられる劇場版『Z』ですが、この第3部は「作品」として最もまとまりや魅せ場があり、単体としては一番まともな作品になっていると思います。
エンディングがTV版と異なっている事がウリでもあり非難の対象ともなっていますが、むしろキリマンジャロやダカール、サイド2での展開を全て割愛して、エウーゴ・ティターンズ・アクシズ3局の絡み合いに焦点を絞り、そこで繰り広げられる権謀術数や個々人の思惑を描きつつ、グリプス戦役全体の流れを約100分と言う枠の中でしっかり描写している点を高く評価したいです。
TV版では放送回毎に見所を入れねばならないと言う制作上の都合から要素が詰まり過ぎてしまい、焦点がぼやけ消化不良を起こしていたと感じていただけに、あえて「新訳」として劇場公開をした意味は感じ取ることが出来ました。
無論、その為にアムロをはじめ、フォウ、ロザミアといったキャラの魅せ場が完全に消失してしまった事は、思い入れの強いファンにとっては許しがたい変更だと理解出来ますが、第2部の様にエピソードの無残な寄せ集めを見せられるよりはよほどマシだったと思いますよ。
ラストシーンが『ZZ』に繋がらないと言う批判は尤もですが、元々ガンダムってそれほど綿密に構築されている作品でもありません(ファーストもTV版と劇場版で数々の矛盾があるし、何より小説版ではアムロは戦死しています。『逆襲のシャア』は最初『Z』のサブタイトルでした)。あの"駅弁"は富野監督らしい下品さが良く表れているシーンだと評価出来ると思いますよ。
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